本とラジオとクラゲ

ドンづまりでも絵だけは描き続けていたい

猫の毛布

入れ物が足りないから散らかる

こんばんは。

昨日スケジュールがどうのこうのと語っていたものの、今日は朝から二度寝を繰り返して昼過ぎにのろのろと起床する始末でした。

翌日何時に起床するのかという事が、実行二日目で頭の中に無い自分にさすがに嫌気がさしました。

 

さっそくネガティブになっている気がします..。

 

ということで、今日は明日の大まかな予定(朝の時間帯を特に具体的に)を立ててから眠りに就こうと思います。

 

本が先か本棚が先か

ノコノコ昼に起きてから今まで何をしていたのかと言うと、今日は本棚を部屋に運び込むためにあれやこれやと動いていました。

当初は午後に出かけて、しっくりくる本棚が見つかったら買おうかなどと考えていました。

しかし、ネットで本棚の相場や買ってからの積み込みや設置、組み立ての手間など調べれば調べるほど家具を買うという事の面倒さにやられて買い物を取りやめました。

そこで、離れの家に使ってない棚がいくらかおいてあったことをぼんやりと思い出し、あるなら買わんでもいいかという貧乏思考モードに切り替わったのであった。

 

一旦思考がこの貧乏モードに入ると、どんな外的変化が発生しても消費活動することってめったにない気がします。

 

離れを物色したところ、少々縦長なものの昔私が使っていた明るい色の棚が見つかったので、悪戦苦闘の末解体、移動組み立てを終え自身の部屋に設置。

とりあえずの達成感と満足感は得られました。

 

なぜ衝動的に本棚への欲求が爆発したのかというと、私のこれまで使っていた本棚が満杯になったからです。本が散らかってました。

ここでふと些細な疑問が。

本が発明される前から本棚はあったのでしょうか。

初めて本を棚に置いた人は何を思って置いたのでしょう。

食器棚から食器を全部取り除き、一面を本で埋め尽くしたそれは食器棚と言えるのか。

食器と本が占める割合が同等の食器棚は食器棚なのか本棚なのか。

 

棚ってすごく曖昧な存在だなと思いました。

 

入れ物に入っていないものはみんな家具

片付けのハウツー本みたいのあるじゃないですか。

個人的にあれがすごく理解不能です。

部屋が物で溢れていたり、散乱していたりして、散らかっている部屋に困っていながらなぜそんな本を買うのかと私は言いたいです。

散らかっている上でさらに一冊の本でも、物を増やしているという事を自覚すべきではないのでしょうか。

 

収納術についての心得はないのでその範囲は及ぶところではありませんが、こと片付けという問題に関してはセオリーに従いさえすれば誰でも解決できるものだと個人的に思います。

 

散らかっているという状態は言い換えれば、物が溢れているという状態であります。

物が溢れるという事は、入れ物が満杯に近いか、入れ物自体が入れにくい場所にある、そして入れ物が存在しないという事を意味します。

ですので、定期的に片づけをしてもすぐ散らかるタイプの方は、収納する入れ物が絶対的に足りていない、もしくは入れ物の位置がとても不便な位置にあるかのどちらかが散らかりやすいことの大きな原因になっていると思います。

入れ物に入れるほどじゃないけど転がっていると邪魔な小物たちはだいたい一か所に集められて、棚の上を占領することになります。

そしてその棚の上という入れ物が限界を迎えたとき、散らかりは始まるのです。

入れ物が足りてないことに気づきましょう。

使ったものをもとの位置に戻さずに、部屋が散らかってゆくタイプの人は学習能力がないので一生散らかり続ければいいと思います。

 

結論を述べると、部屋が散らかって困ってる人は、片付け本を買う前に収納ケースをいくつか買って帰るべき。

 

おしまい。猫に毛布をあげたらあったかそうな顔をして座っていました。

第四金曜日

行き当たりばったりな外出

こんばんは。

今夜は早寝のためにいつもよりかなり早い時間に独り言ブログを更新しています。

早寝早起きではなく早起き早寝。哀川翔も言ってるので間違いないです。

昨日読んだ啓発本の影響で、今日から一日のスケジュールを毎日一時間刻みで計画し、それに従って行動することに決めました。

 

無職にも規律正しい生活が必要とされる時代。

 

いきなり感化されて実践している自分が恥ずかしいという部分もあるため、意識高い言い訳をするならば、どうせ三日坊主と思った瞬間に三日坊主になる未来が決まってしまう。続けられると思い続けることが現実へとつながるのである。的な。

 

やらない努力より、やる努力。

 

思うという事は自身の意識の潜在下で、現実の生活に大きな影響を及ぼしている。

ネガティブな思考回路は常に最悪の未来を想像することしかできず、自身の行動は無意識にその創造した未来に引きずられてゆき、いつの間にか失敗を繰り返すバッドサイクルの引き金となっている。

逆にポジティブシンキングは、あなたに常に困難に立ち向かうための勇気を与え続けてくれる。そしてその困難を乗り越えたとき、あなたはすでに黄金のサイクルの中にいるのである。的な。

 

はいはいポジティブポジティブ。

 

今日はその時間割の都合で、今朝立てた時間割に従って昼過ぎに図書館に行く予定だったのですが、最終的にその時間は海岸の公園の丘で仁王立ちして海岸線を眺めていました。

 

潮風って暴力的な側面ある...。

 

第四金曜日は休館日

知りませんでした。なんとなく一年に数回行くだけだから適当に行っても昼ならやってるだろくらいの気でいたので、モチベーションを高めて高めてたどり着いた場所で初日から計画倒れになるとは思いませんでした。

そして、いままで無職の自分がどれだけ無計画に外出していたのかを思い知りました。

時間割を立てて完璧に行動していたと思っていたものの中身はかなり無計画。

そもそもスケジュールを組む段階で、本当にその時間で実行できるのか、予定を妨げる可能性の有無、そして予定を変更せざるを得なくなった場合のプランについて全く考慮していなかったのであった...。

 

つまり、私が今日実行したのはとりあえず書き出す、とりあえず実行するの二つのみでした。

 

スケジュールを立てるという事は、何時に何をやるという覚書なのではなくその大まかな計画をどうやって実現させるか考えるとう作業なのだと気づかされました。

 

ちなみに今日なんで休館日から海に行くというプラン変更がなされたのかというと、何も考えてなかったからです。はい。

それもまた一興ということで、ポジティブポジティブ。

 

考えて生きるという事は、最初に考えずに実行するという要素がなければ成立しえないのではないでしょうか。

 

私は今日失敗しましたが、その原因について考えるヒントを休館日というハプニングから得ることができたのです。

失敗とは恐れるものではなく気づきなのだと感じます。

 

坂の上の雲の内容について力説していた高校時代の教師

ほぼ追記です。読書の話に変わります。

最近、司馬遼太郎の本を読み始めました。

きっかけは一か月くらい前にみた他人のツイートが司馬遼太郎関連だったというだけなのですが。

 

ここで、新しいものに触れる、という事について少し思うところがあります。

 

ずっと気になっていたり、そこまで意識していなくとも何度か同じものを目にする機械って必然的に生きていればありますよね。

それで最終的に何かのきっかけ、例えば給料日に立ち寄った本屋でちょうど手に取りやすい位置にその本が置かれていたり、病院の待合室で手持無沙汰なときに本棚にそっと置かれているのを見つけたり...。

そういった数々のきっかけがトリガーとなって作品にやっとふれるわけですが、そういうものって案外ハマったり、人生に影響したりするものが多い気がします。

この一連の一つのものに興味を持つという流れに、必然性なのかそれとも本能なのか、内なる自分の欲求なのか、何かはっきりとはわかりませんが大きな意思が存在している気がするのです。

 

大いなる意思とかいうとすごく宗教っぽい...。

 

平たく言うなら 運命 なのでしょうか。

 

あんまり関係ありませんが当時、司馬遼太郎坂の上の雲を授業中に薦めてきた教師は私が嫌いなタイプの人でした。

でも教師のことを嫌いじゃなかったら、誰の何の本を紹介してたかなんてことも覚えてなかった気もします。

書き出していたらまた気になり始めたので、今読んでいる新選組血風録を読了したら読んでみたいと思います。 坂の上の雲

 

明日の前夜は明日を迎えるための柔軟体操

明日は今日より失敗できるといいです。おしまい。

やる

すぐにやる人とやらない人

今日は意識改革系の自己啓発本を読んで、大いに感化されました。

なので内容の備忘録がてらざっと要約してゆこうと思います。

 

意識高い系の本読んで、その時は感銘をうけるものの、三日後には読んだこと自体忘れてるみたいなことが自分にも多々ありました。

そしてしばらく月日が流れ、理想の自分へとなかなか変われず、現実へのフラストレーションがたまり始めたころに書店で再び自己啓発本を目にして救いを求める思いで購入する。

そして三日坊主

その無限ループ。

 

そう考えると、自分を変えない限り一生自己啓発本を買い続けて一時の安心を得て満足する運命に生まれた気がします。

私はこのままでは心理学者の犬なのである。

 

理想と現実と

社会生活を営む人間にとって、理想の自分とは今を生きている現実の自分にないものの渇望であり、その理想の自分になっている未来を想像することが夢と呼ばれるものです。

今この地球上で生きている60億人以上の人々の中で、夢をかなえた人、夢を追っている人、夢をあきらめた人、そして夢が見つからない人が存在しています。

そしてその夢と今の自分との関係性によって人それぞれの生き方が。

 

夢のために今を生きることは、砂漠の逃げ水を追うような終わりのない旅であり、人生の大きな指針を常に意識しながら生きるということではないでしょうか。

おしまい。もう眠いので。

ブロンズ像ってどうやって作ってるの

庭園画とロダン

こんばんは。今日はちゃんと日付が変わる前に更新できそうです。

いつもより少し焦ってタイピング。

 

美術館に行ってきたよーという報告をたらたらと。

展示内容でだいたいどこか特定できるかと思いますが。

今日は静岡にある県立美術館で古い巻物絵だったり屏風絵あとおっきな像を見てきました。

ロダンの像おっきかったです。あと怖かった。語彙不足だね。

 

語彙力と富裕所得の関係を調べたい。

 

岩と松と屋敷 緑 茶 橙 ときどき滝

庭園画の方は狩野派何代目だの玉林だのの昔のおっさん(15世紀~18世紀くらいの範囲)の岩と滝と松と家の絵の無限ループでした。

絵の横に、実景をみたまま描いた地取(うろ覚え)というようなそんな説明が何度か書いてあったんですけど巻物とか屏風絵って何等分して書いてるのか気になりました。

ガラガラだったので学芸員の方に聞けばよかったと帰ってきて後悔。

下調べもせずに行ったので庭園画を見る予定はなかったんですが、死ぬ前に一回くらい庭園画をゆっくりみるのもいいのかなとむりやり肯定。

老後にいくらでも見れそうな気もしますが。

後は庭園画のはっきりしないアイレベルと異なる景色と景色をつなぐあの謎の雲にイライラしました。

 

ロダンしゅごい

ロダンのブロンズ像はどれも圧巻でした。

西洋美術の、彫刻分野を大きく発展させた化け物。

ロダンの彫刻を見る数分前に通り抜けて見てきた庭園画が子供の落書きに思えるほどに。

モチーフを表現する手法の違いといえばそれまでなのですけど。

 

 

ロダンしゅごい。おしまい! あれ、今日も日付超えちゃってる....。

クローズドサークル

定価430円

散歩がてら立ち寄ったコンビニで、鬼平犯科帳の漫画化シリーズの雑誌を衝動買いしました。

鬼平、TVでもちゃんと観たことないけども。江戸を切るとかも最近気になってます。

今日はそれについて少し。

 

鬼平犯科帳、個人的にこち亀やTVの時代劇シリーズでちらっとその名前を目にするものの、自分で探して買うほど興味があるものではなかったです。

司馬遼太郎シリーズとかもこの食わず嫌いカテゴリに入る気がする...。

それで本題の漫画について。

原作は池波正太郎氏の時代劇小説でそれをさいとうたかを氏が漫画化したそうで。

かなりの数の話が漫画化されてるらしいですけど。

そんでもってさいとうたかお氏ってゴルゴの人じゃんって、半分まで読んでから調べて気づく。

 

肝心の漫画の感想

仁三郎(にさぶろう)がくっそ有能だなと思いました。はい。

鬼平犯科帳知らない人からすれば(数時間前の私も含め)鬼平の顔も知らないのに仁三郎誰だよって話なんですけども。

とりあえずこの仁三郎がいかにできる男なのかを説明するために、このシリーズの大まかな概要をば。

 

鬼平犯科帳鬼平と呼ばれゴロツキどもから恐れられる改方の長官のおじさんを中心に、江戸を舞台として繰り広げられる勧善懲悪型の時代劇です。たぶん。

三話掲載されてるうちの二話しか読んでないからすっごい曖昧だけど。

それで鬼平が主人公なのかと思ってたんですけど、少し違いました。

鬼平水戸黄門でいう黄門様ポジションっぽいです。

鬼平が動いて話が進んでゆくというより、水戸黄門でいう助さんポジのアホキャラ枠の忠吾(ちゅうご)というひょうきんな男があれやこれやと動き回ることで物語が進んでゆきます。

 

こういうタイプの、タイトルになってる人物が動き回らずに話が進み最後にその人物がオチをつけたり(終盤でひかえおろう!で黄門やっと出る...的なやつ)する作品やシリーズってなんか名称あるんですかね。

そもそも主人公の定義って何なんですかね。無知なので。

 

話がそれまくりましたが、結局仁三郎がどんな奴なのかについて全く触れてませんね。

仁三郎は障子はりかえ屋みたいな職業(適当)の男です。

仁三郎はその商売上いろんな人と関わってるようなので情報ツウな役でもあります。

そして起承転結の起の部分でだいたい仁三郎が鬼平に事件やきっかけを持ってきて話が始まります。

この仁三郎、鬼平に事件を持ってきた後にも活躍します。

基本的には、鬼平に伝令役をこなし、そのまま鬼平から事件の発端の悪党の尾行や監視、情報収取などの任務を命じられます。そして少し話が進むと敵のアジトや謀略などの改方側にとって有益な情報を入手して帰還し、鬼平にそれを知らせます。

そのあとはもう鬼平が悪者をばったばったとぶった切って襲撃からの終劇のパターンに入ります。

水戸黄門でいう印籠モードです。鬼平最強です。

 

仁三郎という男

鬼平犯科帳は改方の親分がテーマの話なので、当然改方長官の鬼平の下には子分の改方が十数人います。

つまり、鬼平はこの子分たちを総動員させて悪党の情報収集や尾行を行うことも可能なはずなのですがなぜか仁三郎がその役割を一人で担っています。

逆説的にいうと仁三郎は一人でお役人十数人分以上のリソースを持っていることになります。

この仁三郎、事件にいくら貢献しても基本無給です。

本業の障子張り替えの商いの最中でも、悪事が目に入ると仕事を投げ出し、尾行、情報収集を行い鬼平のもとにいち早く伝令します。

自身の生活より鬼平への奉仕が第一なのです。

 

仁三郎すごい。おしまい。

追記:鬼平犯科帳 白根の万左衛門編 はそのへんのコンビニで定価430円で絶賛発売中です。

ここは私の日記帳

久しぶりに

くらげです。約半年ぶりにブログを更新します。

読者もおらず、はたから見たら広大なインターネットの海にほぼ無価値の文章を垂れ流す環境汚染のような作業ですが、自分の生活の備忘録として日記ブログをつけていこうと思い今に至ります。

誰に向けて書くというより、ほぼ私の精神安定のためのものなので推敲などするはずもなく、文章が破綻している部分が多くあると思いますがあしからず。

三日で終わらなければいいのですが...。

 

インターネットとSNS

Twitterは恐ろしい劇薬だよねーというお話。

そんなん常識だろという文が続く。

他人との繋がりを求めながら、様々な自身の理由により現実で居場所を得られない人間にとって、TwitterなどのSNSは麻薬に。

SNSは顔を合わせず、離れた場所で、時間に限定されないとういう点だけみればwebを媒介するメッセージングアプリケーションと変わりない。そこに「仮想空間での住処(アカウント)」と「不特定多数の人間と共有する」という要素が加わることで大きな中毒性が生まれる。

人間は自身が触れた体験や見聞きして得た感情に対し、潜在的に常にそれを他者と共有することによって肯定、否定を行っている生き物。

それがコミュニケーションであり、そもそも会話というものは話す者の「同意や共感を得たい」という意識が根幹に。

誰だって否定されるより肯定されたほうが気持ちいい。

現実で周囲に自身と価値観を共有できるような人間がいない人同士にとって仮想空間で同胞と意識を共有するという作業は、共感の洪水。そこでは否定はだいたい不協和音とみなされ存在しない。ブロック機能ってじっさいあんまり使わないよね。

 

そんなわけで朝起きてTwitterを開いて、出かけて、疲れて帰ってきて、床に就く前にTwitterを開く。

Twitterの世界で自分が起床したことを確認し、憂鬱な気分をうったえるか適当な挨拶をつぶやき、かわいい子猫の写真をシェア、一日を終える時間になると布団とタイムラインに包まれて目を閉じる。

共感して共感されて共感する。共感されないと共感したふりをして共感してもらう。

回線越しの相手だって共感したふりをして共感を渇望してる。

お互いの穴の開いたコップに共感という名のミルクを注ぎあう作業。

注いでもらったら注ぎ返す。それはちょっとずつこぼれていったり、ほかの人のコップの大きさに嫉妬したりして、満たされないからまたそそぐ。注いでもらいたいから。

その繰り返し。

 

青い鳥かごの中で、みんな毎日、顔のしらない誰かと傷を舐めあって生きている。

 

おしまい。日付が変わっちゃったけどまたあした。

朝潮電マgif 保管庫

電マ朝潮gif 劣化無しmp4

pixivとニジエにアップロードした朝潮gifのmp4版です

 

 ↓リンク先からgドライブ上でフリー再生できます

朝潮電マ.mp4 - Google ドライブ

 

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