本とラジオとクラゲ

ドンづまりでも絵だけは描き続けていたい

ここは私の日記帳

久しぶりに

くらげです。約半年ぶりにブログを更新します。

読者もおらず、はたから見たら広大なインターネットの海にほぼ無価値の文章を垂れ流す環境汚染のような作業ですが、自分の生活の備忘録として日記ブログをつけていこうと思い今に至ります。

誰に向けて書くというより、ほぼ私の精神安定のためのものなので推敲などするはずもなく、文章が破綻している部分が多くあると思いますがあしからず。

三日で終わらなければいいのですが...。

 

インターネットとSNS

Twitterは恐ろしい劇薬だよねーというお話。

そんなん常識だろという文が続く。

他人との繋がりを求めながら、様々な自身の理由により現実で居場所を得られない人間にとって、TwitterなどのSNSは麻薬に。

SNSは顔を合わせず、離れた場所で、時間に限定されないとういう点だけみればwebを媒介するメッセージングアプリケーションと変わりない。そこに「仮想空間での住処(アカウント)」と「不特定多数の人間と共有する」という要素が加わることで大きな中毒性が生まれる。

人間は自身が触れた体験や見聞きして得た感情に対し、潜在的に常にそれを他者と共有することによって肯定、否定を行っている生き物。

それがコミュニケーションであり、そもそも会話というものは話す者の「同意や共感を得たい」という意識が根幹に。

誰だって否定されるより肯定されたほうが気持ちいい。

現実で周囲に自身と価値観を共有できるような人間がいない人同士にとって仮想空間で同胞と意識を共有するという作業は、共感の洪水。そこでは否定はだいたい不協和音とみなされ存在しない。ブロック機能ってじっさいあんまり使わないよね。

 

そんなわけで朝起きてTwitterを開いて、出かけて、疲れて帰ってきて、床に就く前にTwitterを開く。

Twitterの世界で自分が起床したことを確認し、憂鬱な気分をうったえるか適当な挨拶をつぶやき、かわいい子猫の写真をシェア、一日を終える時間になると布団とタイムラインに包まれて目を閉じる。

共感して共感されて共感する。共感されないと共感したふりをして共感してもらう。

回線越しの相手だって共感したふりをして共感を渇望してる。

お互いの穴の開いたコップに共感という名のミルクを注ぎあう作業。

注いでもらったら注ぎ返す。それはちょっとずつこぼれていったり、ほかの人のコップの大きさに嫉妬したりして、満たされないからまたそそぐ。注いでもらいたいから。

その繰り返し。

 

青い鳥かごの中で、みんな毎日、顔のしらない誰かと傷を舐めあって生きている。

 

おしまい。日付が変わっちゃったけどまたあした。

広告を非表示にする
シェアする